ストラトキャスターとの出会い-ブラッキーの誕生


このデラニー・アンド・ボニーの活動と時期を同じくして発表された初のソロアルバムに注目してみよう。そのジャケットに映し出されたストラトキャスターこそが、その後のクラプトンのイメージを決定付けたからだ。モデルは54年〜56年のサンバースト・フィニッシュで、その素晴らしいトーンを堪能するには「エリック・クラプトン・ソロ」「愛しのレイラ」「イン・コンサート」を聴くべきだろう。70年中期にはすでにデレク・アンド・ザ・ドミノスでの活動を開始していたのだが、名曲「レイラ」の枯れたトーンを奏でたギターこそ、ヴィンテージ・ストラトだったのだ。アンプの組み合わせも極めて重要である。スタジオにおいては、おそらく複数のアンプが用意されたことだろうが、メインは50年代から60年代前半のフェンダーツイード・カヴァーのチャンプ、そしてステージでは基本的に前述のデュアル・ショーマン・アンプ、時々マーシャルも使用している。また特筆すべき点として、この時代のインタビューでしばしば言及しているストラトハーフトーンの使用方法がある。かつて多くのギタリストに衝撃を与えたレスポール+マーシャルとは180度方向性は違うが、オールド・ストラトハーフトーンの使用+オールド・フェンダー・アンプによるナチュラルで語り掛けるようなトーンは多くの追従者を生み出し、今なお音楽シーンに影響を与えつづけている。なおストラトに使用していた弦はアーニーポールのスーパースリンキーである。

それでは何故ストラトに傾倒するようになったのかであるが、インタビューによれば、以前にマーキー・クラブに出演していたスティーブ・ウィンウッドが50年代ホワイト、メイプル・ネックを弾いているのを聴いて興味を持った、と説明している。まさに探しつづけていたイメージ通りのサウンドだったのかもしれない。

ドミノス解散後の1971年から74年の初頭にかけては、有名なドラッグに蝕まれたブランク期と言われている。しかし、ギターのことを忘れたわけではなかった。71年8月にはバングラディッシュコンサートに出演し、ギブソン・バードランド(ナチュラル・フィニッシュ)を手にしている。そして完全復活の狼煙を上げる前夜祭とでも言うべき73年1月のレインボー・コンサートでは、暖かな友人たちの励ましにより、その素晴らしいプレイを披露したのだ。このコンサートでクラプトンの代名詞となった、通称「ブラッキー」が初登場。他には、過去にクラプトンからジョージにプレゼントされたオール・チェリーレッドのレアな58年型レスポールも借りて使っている。ちなみにこのギターにはジョージによって「ルーシー」という名が付けられている。

では、ここでブラッキーについて簡単に説明してみよう。ブラッキーは70年頃にデレク・アンド・ドミノスでアメリカに渡ったとき、ナッシュビルにあるショー・バッドのショップで複数(5〜6本とも言われるし、10本以上という説もある)のストラトを購入したのがきっかけで出来上がった。クラプトンは当時かなりやすい値段で購入したらしいが、友人のピート・タウンゼント、スティーブ・ウィンウッド、ジョージ・ハリスンにそれぞれ一本ずつプレゼントしている。そして残ったギターの中から気に入ったパーツを組み合わせ、自分自身が納得いくオリジナル・モデルを作ったわけだ。シリアル・ナンバーは57年のストラトから取った物(NO−20036)を付けているが、ボディは56年製ともいわれる。ネックは57年のものという説もあるが、すべて確証があるわけではない。ピックアップ、その他のパーツも詳細不明なのである。このように謎多きブラッキーサウンドだが、まさにエクセレント!クラプトンの分身と呼べる逸品なのだギター・テクニシャンのリー・ディクソンのよれば、ブラッキーはリフレットを一回施しただけで、他の部分は絶対にいじっていないそうだ。

その後74年3月の、映画「トミー」への出演、そして8月発売の「461 オーシャン・ブールヴァード」からの大ヒット"I SHOT THE SHERIFF"によって見事なカムバックを果たす。この当時からステージでのアンプはもっぱらミュージックマンHD−130を愛用、80年代の中盤まで使いつづける。これはミュージックマンに付いているマスターヴォリューム機能、フレキシブルな面が気に入っていたそうだ。マーシャルで出していたサウンドフェンダー・アンプのサウンドの両面を、完全とまではいかないがシミュレーションできるという考えだったらしい。ちなみに74年11月の来日公演、武道館のステージではこのミュージックマン(エクストラ・アウトで2台を鳴らしている)に加え、レスリー・スピーカー(フット式のプリ・アンプを使用)を2台使用していた。また58年製のオリジナルのギブソンエクスプローラーも頻繁に登場する。

74年から84年までの10年間は基本的にブラッキーを含む複数のオールド・ストラト、アンプはミュージックマンテレキャスレスポールエクスプローラーは時と場合によって使用していたと言える。


http://www.slowhands.net/story/guitar/02.html

ストラトキャスターストラディバリウス なみになったって事かな♪

レオ・フェンダー 恐るべし♪ ちなみに私はストラトは殆んど弾きません