人間はどこまで動物か

新潮社
2004年5月発行
205P 20cm
価格:1,365円 (税込
日高敏隆の関連書籍
著者名
日高敏隆 (2004年6月23日掲載)
 動物行動学者の日高敏隆さんは昆虫や哺乳類など幅広い生き物を対象に研究してきた。特にアゲハチョウのサナギの色が茶色になるか緑色になるかが何によって決まるのかという研究で有名だ。この本のなかにも大潮の干潮のときだけ姿を見せる岩の中に住む虫や、ウマの足の振動をおさえるわずか6ミリの筋繊維の話、昆虫の羽の秘密など、さまざまな生き物の話が登場する。
 日高さんによれば動物行動学とは、どの動物も子孫を残してきたという点では同じだが、子孫を残すやり方・生き方は種によってまったく違う、ということを明らかにしてきた学問だという。ネコはネコなり、ゾウはゾウなり、ヒトはヒトなりの生き方をしてきた。だが人間は「人間はどこまで動物なのか」と自問自答を繰り返してきた。それは常に一本のスケールの上で物事を見ようとしているからだという。動物行動学者の見た文明論、それがこの本の主テーマだ。

プロフィール
日高敏隆
1930年、東京生まれ。東京大学理学部動物学科卒業。東京農工大学京都大学教授、滋賀県立大学学長を経て、現在は総合地球環境学研究所所長。著書に『チョウはなぜ飛ぶか』(岩波書店)『ネコはどうしてわがままか』(法研)『動物と人間の世界認識』(筑摩書房)など。訳書に『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)『ソロモンの指環』(ハヤカワ文庫)など。 2001年、「波」連載の《猫の目草》をまとめた『春の数えかた』(新潮社)により、エッセイスト・クラブ賞を受賞。

インタビュー
日高さんは現在、総合地球環境学研究所の所長を勤めている。2001年4月にできた新しい研究所だ。

――「いわゆる地球環境問題」の原因は、人間の文化だとお書きになってますね。

「地球の上に動物は百万種以上いる。でも地球環境問題というのを起こしたのはどうやら人間だけらしい。どうも人間という動物は自然に挑んで、自然を支配して生きようと思ったらしい。たとえば普通の動物は草を食って、なくなったら移動する。そのぶんだけ子どもを産みますね。ところが人間は、草を食って草がなくなったら、じゃあ植えちゃえと考えた。植えると生える。だからさらに人口が増えても大丈夫だと。しかしながら自然に対してそういうことをやっていると反作用がある。それはまずいから、そいつをたたく。今までそうやってなんとか成功してきた。ところが、だんだんヘンなことになってきて、こっちをたたくとあっちがはねるとなってきて、何が何だかわからんと。それが今の『いわゆる地球環境問題』じゃないんですか、と。そう言ったわけです。
 そんなふうにならんためには、人間の『自然を支配する』という感覚をどうしたらいいか根本的に考えないといけない。多分、自然を支配しないと人間は生きていけないからね。それはほかの動物とは違う生き方だ。それを敢えて一言で言うならば、広い意味で『人間の文化』なのではないか。そう言ったわけですよ。それと、経済も絡むし政治も絡む。気象や環境の話だけじゃない。それを強調するために文化という言い方をしたわけです」  

――先生の言葉をもう一つ借りれば「クロマニヨン型」だと。

「そうですね、現在のヒトにつながるクロマニヨン型以外の、ネアンデルタール人は滅びちゃった。たぶんクロマニヨンにやっつけられちゃったんだろうということになってますね。クロマニヨンは何か特殊なものを持っていたんでしょう。それは何か。人間はどんな遺伝的プログラミングを持っているのか。どういうことは耐えられて、どういうことは耐えられないのか。そういうことをちゃんと明らかにしないと根本的な解決にはならないでしょう。だから学問的に明らかにしよう。そういうことをいまやろうとしているわけです」

――他を支配したい、自然を支配したいという気持ちは人間の本性なんだということだったら、自然環境問題をいかに起こさせないようにするかは非常に難しい問題ですね。

「難しいです。でも、人間は支配したいもんだと、本性としてそれを持ってるんだと。そのことを自覚するかどうかで変わるでしょうね。人間はどういう動物か。そこを知らないと変な無理を強いることになる」

―― 無理?

「たとえば犬は走り回って獲物を捕る動物なので、走るのが好きなわけですよ。だから散歩に連れていかんとあかんと。忙しくてもね。でも人間は、自分たちがどういう動物かということを分からないままに、学校を作ったりしている。そうするとおかしなことが起こってくる。人間はかなり無理してるんじゃないですか。我慢していたり」

――精神的に? 肉体的に?

「両方でしょうね。我慢しているうちに病気になってしまう。何がどうだからいかんということが分からないとだめですね」

――人間はどういう習性をもっているか、ということを理解しないといけないわけですね。

「そう。以前僕は『石器時代としての大学』というエッセーを書いたんです。人間は武器のない動物だから集団になって暮らしていた。そうすると子どもはいろんな大人達を見て、人との付き合い方を学習しながら育つ。猫だと自分の親しか見て育たないんだけど、それでも大丈夫なようにあの連中はできている。ところが人間は周囲にいろんな人がいる環境で育たないといけない。ところが今は、団地の中に自らを閉じこめて、学校みたいに同世代の人間ばかりを集めたところに入って育つ。するとほかの人とどういうふうに接すればいいのか分からなくなってしまう。そこに問題があると思うんだけど、心理学の人はそういうふうに問題を立ててくれないんだよね」

―― それがどうして大学の話につながるんですか?

「大学はいろんな人がいるじゃないですか。年齢やキャラクターが違う人がいっぱいいる。小学校や高校までとは違う。先生も違う。いろんな人との付き合い方を知る。それは石器時代と似たようなもんだと。それが4年制の大学に行く意義だと思うんですよ。ところがおかしな人がいてね、『なるほど、大学っていうのは古いですからね』と。そういう意味じゃないんだ(笑)」


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